切迫早産入院(21日目)
他の人の言動が気になる
大部屋って他人と生活しているようなもので。
他の人が不快にならないように配慮しながら入院生活送りますよね。
けどその配慮の域は人それぞれで。
消灯後の大部屋での電話って非常識ですよねー。
何回かありました。おばあちゃん。
そこになんかクレーム付けると煙たがれるかなと思ったり。
病気して入院している人になんか言えなかったり。
(今思うと自分も入院してんだから遠慮せず看護士さんに言えばよかったと思う。
そんなことを1人悶々と考えていて、
そんなことに頭がいっぱいになるのがバカらしくて、
けどイライラするから夫にlineで文字で実況中継してました。
あとAmazonプライムビデオでずっと映画みたりして
自分がすっきりしたり、満足する方法で
頭をいっぱいにするようにしてました。
切迫早産入院(20日目)
体力低下の克服
入院中から感じてはいたのですが、
自分が思っていた以上に筋力が落ちていてびっくり。
産後2週間くらいで長男の保育園のお迎えに行き始めると
最初は階段を上るのだけでなく歩くのも、動悸がまあまあ感じられたにも関わらず
ベビーカー×2歳児男子で30分は歩いていたので、
帰ってくるとどっと疲れがでていました…。
体力低下は気力低下にもつながり、
更に入院中からサポートをし続けたパートナーの母にも疲れが色濃く見られ
(というか激ヤセした)
なんだかんだがあって精神的なダメージを受け
どっかで体力アップを図らないとまずいなと思って
勢いで行ってみたのがマドレボニータの産後クラスでした。
以前から友人に勧められていたけど、
長男の時は安産だったので体力低下しているという自覚もなく、
産後うつとは程遠いし、受講料は高かったし、
なんだか見にくいページでどこに情報があるのかわからなかったし
何だかんだで利用せず。
今回は産後ケアバトン制度を利用することで受講料のサポートもあり、
まずは運動できればいいし、
まあ自分に合わなくても仕方ないかなくらいの気軽な感じで申込。
参加してみると、妊娠前よりもめっちゃ汗をかき
前よりも筋力が感じられ、体重は落ち、
人と話ができ(入院中ほとんど話さなかったから思った以上に話せなくなっていた)、爽快!⇒気力が戻る⇒妊娠前の意識が戻ってくる
といういいループに乗っかることができたと思います。
長男の時よりも仕事復帰したときの仕事モードへのオンの仕方が
スムーズにいきました。
切迫早産入院(19日目)
産婦人科と婦人科病棟
これはイレギュラーなのかもしれませんが、
私が入院していた病院は婦人科と産婦人科の入院患者が混在していました。
「普通は妊婦さんとそうじゃない患者さんは別部屋になるんだけどね」
と看護士はさんは話していましたが
私、だいぶ婦人科の患者さんと一緒の部屋になる期間があり…。
しかもこの日から70代以降のおばあちゃんたちと一緒の部屋になり、
新しい命を育む自分の傍らで
婦人科系の病気を患い、病と闘っている方々がいることは
命の灯を感じながら
出産を通り越して、自分自身の数十年後に想いを馳せてみたり
自分の今の喜ばしい状態がいつどうなるかもわからないみたいな不安や
お腹の子の命とまじめに向き合わないといけないという変なプレッシャーなど
素直になんだか喜べない、笑顔になれない感じでした。
あ、だからバラエティばかりみていたんだ、私。
切迫早産入院(18日目)
~切迫早産で入院したときに書いた日記を振り返っています~ 33週1日目
今日は息子が来てくれた。
最初は恥ずかしそうに、パパの陰に隠れていたけれど
「大好きな忍者やって!」と頼むと
パパと一緒に
面会できるエレベーターホール前を
中腰で「ニンニン」といいながら何度も小走りしていた。
入院中はスマホでTVや映画を観ることが多い。
考えることを辞めているところもある。
昨日から耳が聴こえにくい。
総合病院のいいところ
耳が聴こえにくい状態がしばらく続いていると
「うちの耳鼻咽喉科受けときますか?」を先生から薦めてくれた。
ちょっと気になったところがあったとき
同じ病院内で受診できるのは、
自分の身体の調子に向き合うことに集中できて、
入院中とても安心できた。
切迫早産入院(17日目)
1日のスケジュールはこんな感じ
忘れずに書き記していたのです。
家族の写真・動画・電話の力
切迫早産入院(16日目)
内へ内へと向かう精神状態
淡々とした生活の中で、しかも行動制限がかかってしまうと
思考も内へ内へと向かいがちで。
なんだか感傷に浸っていました。
過去に思いを馳せすぎると、今、未来にも過去の経験フィルタが無駄にかかってしまい
あんまりよくないですね。
今に意識を向けるために、今のことを人に話したり、こうやって発信することって
大事ですね。