切迫早産入院(5日目)

31週2日目

今日は入院して初めてシャワーにかかる。

気になっていたべたつきや匂いがいっきに流れる。

こんなにも気持ちがいいものなのかと実感する。

点滴の差し替え日にシャワーにかかえれるらしい。

朝から採血だったが、看護士1人目、2回失敗。看護士2人目、2回失敗。

先生1人目、1回失敗で採血が恐怖に…。

先生2人目でめでたく成功。ほっとする。

これから点滴の差し替え(4日に1回)が恐怖になっていく…。

 

切迫早産入院(4日目)

切迫早産入院(4日目)妊娠31週1日

転院してきてから、毎日膣内洗浄をしている。

膣内に細菌がいるようでそれをきれいにしてもらっている。

入院して初めて息子EとパートナーYが来てくれた。

院内感染を防ぐため息子は病室内に入ることができず、

エレベーターホールで会うことに。私は病室から車いすで移動した。

 

息子Eは最初は恥ずかしそうにベビーカーにしがみついていたが、

ベビーカーから降りると忍者のものまねをしながらエレベーターホール前を

駆け回っていた。

私は会うなり声をあげて泣いてしまった。

嬉しさと突然いなくなってしまった申し訳なさとまたしばらく会えなくなってしまう寂しさと…。

1時間ほどでお腹が苦しくなってきたのでバイバイをする。

息子は泣くかな?と思ったら、無表情に「バイバイ」と言って帰っていった。

我慢しているんだろうな、我慢しすぎなければいいなと思う。

切迫早産入院(3日目)

私は切迫早産のため管理入院を2か月近くしました。

入院期間中日記を付けていました。というかつけないとあほになりそうでした。

それを多少修正してこれからブログに記していこうと思います。

 

~以下日記~

今まで通院していた産院から、NICUのある病院へ救急車で転院。

1歳の息子に会えなくなるのが一番こたえる。

食事・お手洗い以外は基本ベッドで寝ていないといけない。

そして24時間、子宮の張り留めの点滴。

これがほてり、どうきを誘発していて、全身がだるい。

お風呂もシャワーもダメ。

じめじめした季節で、しかも汗っかきの自分にとってはこたえる。

切迫早産での緊急搬送

転院先満床なり。

31週0日で子宮頚管が1.8㎝となり、管理入院となった私。

それまで通院していた産院にはNICUがなく、もしお腹の子どもが産まれてきてしまえば、手当をすることができない!

ということで転院することになりました。

「入院のときには近くの大きな病院へ転院となります。」と聞いていたので、

心構えもできていて安心していました。

 

転院手続きを取る間、

子宮張り留めの点滴ウテメリンをうち始め動悸が激しくなってきました。

 

ぼんやりとした意識の中で…

通院した今日の今日で入院になったというのは

長男にとっては何も言わずにそのままママが居なくなってしまうことであり

申し訳ないな、しばらく寂しがるのかな、泣くのかな、保育園に行けるかな

ちゃんとご飯は食べられるのかな、

あれやこれや心配事が頭をよぎりました。

けれどもうどうしようもない。

みんなに頑張ってもらうしかない。お腹の中の次男のためにも入院するしかない。

自分が不安な様子を出してしまえば、みんなが余計心配するだろうから気丈にいこう。

 

…そんなことを考えていると

看護士さん「転院先が満床でいくつかあたっています。もうちょっと時間がかかります」って…

 

え!!!ここにきて、入院しないといけない状況なのに満床で入院できないとかあるんだ!どうすんの!探せないと!

…という思いをぐっと抑えて、ひたすら横になっていました。というか

横になるしかありませんでした。

 

安心できる産院ってなんだろう

転院先がようやく決まり、ストレッチャーでそのまま救急車搬送になりました。

通院していた産院から救急車で30分の距離。

その時点では私は名前も聞いたことのない病院でした。

*とても大きな病院なのですが私が住む区外にあるので調べたこともありませんでした。

 

通院していた産院は院長と他に2人の先生が交代で診察するような

小規模なクリニックでした。そこに決めた理由

・自宅から車で10分強くらいの距離で、出産時のいざというときの安心感があること

・産後の入院時にも家族が通いやすい距離にあること

・出産時に長男(2歳)も含めて家族が立ち会えること

・全個室で産後をストレスなく自分のペースで過ごせること

・長男をそこで産んでいたので要領がわかること

などです。

 

長男も産院に到着して2時間で出産という安産だったので、

次男も安産、なんなら陣痛始まれば自宅で産まれるくらいかもしれないと

変な心配をするくらいでした。

出産は毎回違うと知ってはいたけれど

「まさか自分に入院などの事態は起きないだろう」と過信していたのですね。

 

けれど今回は「切迫早産で入院」

自分に起きてみて初めて妊娠・出産のリスクを考えるようになりました。

妊娠・出産って喜ばしいことだし、もしもの時のリスクをあえて考えない

考えるのがなんとなく不謹慎な感じもあったのかな…。

 

転院となるとどんなに大きな安心できる病院でも

それまでの先生との関係性から全く知らない先生に診てもらうことへの不安、

それまで想像していた妊娠・出産とは全く違う入院生活を送ることへの戸惑いを感じました。

 

今思い返して思う大きな病院の良さ

NICUがあり未熟児が誕生しても対応してもらえる安心感がある

・先生がたくさんいて、いつでも対応してくれる安心感がある

・自分に何かあったときに対応できる設備や先生がいて安心感がある

・入院できる環境があり安心感がある

…そう、「安心感」です。

 

小規模なクリニックが悪いといっているわけでは全くないです。

連携している大きな病院が必ずあります。

個人の希望に即した出産をできる限り叶えてくれますし、出産後の入院生活の

ご飯は美味しいし、マッサージも受けられるし、いろんなサービスありますし。

ただ、リスクを考えずに妊婦生活を送っていた私にとっては、

想定していた大きな病院が満床で入れなかったことなど、ちょっとのズレが不安になり

精神的な負担になるなぁとも思いました。

 

なので、自分にとって妊娠生活・出産において何が大切なのか、

リスクも考えて産院を選んでおくことが何よりも

妊娠生活・出産の安心になるのではないかなと思います。

 

切迫早産~自宅安静でやっていいこと、やらないこと~

妊娠27週目に産院で「切迫早産ぎみ」と診断され自宅安静に。

自分の行動ひとつでいい方向にも悪い方向にも転ぶなとわかり

パートナーと話しあい、

私1人ではなく2人で私のやることを決めました。

 

私のやっていいこと

・長男の保育園のお迎え。ただしタクシーで行うこと。

 我が家から保育園までは、徒歩や電車でも普通の人で20~30分程度かかって

 しまいます。妊婦の私にとっては、歩くだけで往復1時間かかるので、

 お腹の赤ちゃんに1日でも長くお腹にいてほしい状況では、

 安心、安全を最優先することに決めました。

 

・ご飯の用意

 最低限度動けば用意できるようにレトルトものもかなり使用しました。

 長男を妊娠して以降、宅配サービスも利用していたので、ネットで注文して、

 食材が届いて、調理するだけという、最低限度の動きでご飯の用意は

 できていたのではと思います。

 

・日常の掃除・洗濯

 次男産まれてからだと、いろんなものの整理とかって

 子育てにてんやわんやで気軽にできないだろうなぁーと思って

「掃除や部屋の片づけ」って徹底してやりたいことでした。

 けれど、ここはぐっと我慢。

 毎日がある程度清潔に、着るものがあればいい程度にしました。

 

それ以外は「基本やらない」で寝たきりでした。

 その他の生活は基本寝て生活をしました。

 長男と遊ぶ時にも、私は座らず寝ころびながら腕から先で遊ぶ!という、

 動きたい盛りの1歳男子にはなかなか酷なことでしたが。

 

 そして最悪の事態「入院」を想定して、

 この時期からヘルプ!を出すことにしました。

 パートナーの母(以後ばあば)に相談して、2週間後から上京してもらうことに。

*ちなみに我が家は東京。義理の母は宮城在住で仕事もしています。ただ個人事業主なので、いろいろな調整をしてくれました。感謝。ここからばあばの東京~宮城を我が家のサポート⇔仕事で毎週末往復する日々が始まります。これが大変。また別の機会に。

 

今振り返ってよかったと思うこと

切迫早産ぎみで自宅安静のときに妊婦である私の行動を

パートナーと話し合って決めたことはよかったなと思います。

「安静にしとくんだよ。できるだけ動かないんだよ。」だけで済ませていたら

「んなこと言っても動かないと生活できんよ」で結構動き回っていただろう。

 そして入院になってしまった時に

「なんでもっと安静にできなかったんだろう」と

もっともっと自分を責めていただろうと思います。

 

私が育った家では、夫婦の話し合いの文化があまりなかったので

なんとなく空気で察してお互い動くみたいな感じでした。

その文化が私の中にも少なからずあって

結婚当初は「男が一家の大黒柱として引っ張っていってもらい、私は察して動こう」

みたいな考えがありました。

気になったことはまずは自分で考察してみて、

自分に非は無いのか考えて、改めるところは改めて

そしてそれでも気になったら話すような感じだったかもしれない。

 

一方でパートナーの育った家は、

夫婦はもちろん、一家話し合いの文化が定着していて

「なんでも話し合って決めていきたい」と割と定期的に言われてました。

そんな細かいことまで話す?みたいなことを最初は感じていたのですが

話していくうちに自分の考えがこうだったんだとわかったり

相手の考え方も知り

そんな考え方全くわからないと思うこともあれば

ああそんな考え方もあるよなみたいなこともあり

ああだこうだ話しながら生活するのも悪くないなと

抱え込むストレスがないな~と感じるようになりました。

そうやって、何でも話し合ったり、言い合ったりできる関係が

ベースにある生活にできていたのもよかったなと思います。

 

ちょっと脱線しましたが

 

という感じで自宅安静生活を送っていたのですが

子宮頚管は短くなる一方で…

 

27週 2.2cm(2.8ではなく2.2でした)

29週 2.8cm

30週 2.1cm

 

そして31週0日目に

とうとう1.9cmと2cmを切ってしまい「切迫早産」と診断。

診断されたその日から突然の入院生活がはじまりました。

 

切迫早産ぎみ診断

今から遡ること8か月前。

私は総合病院のベッドで何をするでもなくひたすら寝ていました。

切迫早産での管理入院です。

 

長男の時は産院についてから2時間後には出産し、

助産師さんにも「初産とは思えないくらい安産だったね~」と褒められたため

次男も安産に決まっていると安心しきっていました。

弟が産まれれば甘えたいけど甘えられない場面も増えてくるだろう

1歳児の長男のためにも、お腹の子のためにも、動いたほうがいい!

少しくらいお腹が張っても、少しくらいつわりがあっても

少しくらい眠くても、自分が少し我慢すれば大丈夫。

そう言い聞かせていました。

 

そうして少しづつの無理が積もり積もったのかもしれません。

出産予定日の3か月前(妊娠7か月、27週目)に「切迫早産ぎみ」との診断。

その診断から一気に不安が襲ってきました。

 

切迫早産ってなに?

いきなり診断された「切迫早産」

耳にしたことはあったけれど、「早く生まれてしまうってこと?」と

勘違いをしてました。「早産」とは別物です。

まだお腹の中で成長過程にある赤ちゃんが産まれてきそうな状況になることです。

 

切迫早産

 

早産になりかかっている状態、つまり早産の一歩手前の状態を切迫早産といいます。子宮収縮が頻回におこり、子宮の出口(子宮口)が開き、赤ちゃんが出てきそうな状態や破水(子宮内で胎児を包み、羊水が漏れないようにしている膜が破れて、羊水が流出している状態)をしてしまった状態のこと

 

 

私は赤ちゃんのいる場所から出口までの管(子宮頚管)が短くなり

 妊娠7か月(妊娠27週目)で2.8cmでした。

私の通っていた産院では、子宮頚管が2.0cmを切った時に「切迫早産」と診断するようで

最初は「切迫早産ぎみ」と診断されました。

 

何をしたらいいの?何をしたらいけないの?

お腹の中でまだまだ成長してもらわないといけない。

お腹の中の1日は、お腹の外での3日分と言わました。

何をするべきなのか?何をしたらいけないのか?先生に聞きました。

 

「薬を飲んで安静にしていれば大丈夫」

張り留めの薬「ウテメリン」を毎日朝・昼・晩と3回飲むことはわかりました。

けど「安静」って何ですか?

安静って人によって違うと思うのですが…。どのくらい動いていいんですか?

 

「安静」がぼんやり

先生 「日中はひたすら横になりながら、そうは言っても生活があると思うので

    必要最低限の外出はしていいですよ。買い物に行って帰るくらいですかね」

私  「仕事は」

先生 「仕事は辞めてください」

私  「座り仕事なのですが」

先生 「座るだけでも負担になるので辞めてください」

私  「長男の保育園のお迎えもあるのですが」

先生 「それはいいですよ」

私  「…(もやもや)」

 

…なんだか安静って私のさじ加減だなぁ。

まあ何もしないで生活しろってのは無理な話だものなぁ。

自分の行動次第でお腹の子に何かあったらどうしよう…。自分の責任だ…。

 

急な絶対安静の診断で、迷惑をかけるのは嫌でしたが会社に報告。

ご飯の用意、最低限の掃除、長男の保育園のお迎えをする日々が始まりました。